深翠抄

~おこしやす~

3 基づきたい

 友人の友人のブログとかをざっと見ていたんですけど、なんかむっちゃ基づいてね? 生活に基づいている。云々へ出かけたよ、とか、云々を買ったよ、とかみたいな。
 
  一方私の生活には本当に何も起こらなくて、n畳敷(自分でもよくわかっていない)の四辺形にぎゅうと収まったまま机上(または寝台上)の空論を頭の中でこねたり撫でたりして24時間営業、そんな私に比べてコンビニはずっとえらい、アイスを備えているから……。睡眠時間は寝つ起きつを繰り返し三、三、四で計十時間。眠りすぎである。しかし過眠は罪ではない、寝る子は育つから……。しかし私はもう子どもといえるほどちやほやされないし、しかもそうして育ったのはひねくれてねじくれた精神だけ……うちの居間に座っているパキラの木の幹も存分にねじれ放題である。飲み放題を相応に楽しめるほどお酒を飲むことができないが、二重跳びはできる(逆上がりもできる)。郵便ポストに同級生の結婚式の招待状が挟まっていたらどうしよう。理想と現実とに挟み撃ちにされた私は夜の町へ。幹線道路の血の通わないざわめきは遠い。そこかしこに座っている紫陽花が美しいな、と思いつつ、美しさという指標そのものに内包される欺瞞を無視し続けるわけにはいかない。野良猫がいたのでちょっと近づく。猫はちょっと逃げる。また近づく。逃げる。近づいては離れる公転軌道上の関係。満ち潮をも超える「満ちすぎ潮」によってこの町ごと全て沈んだら、海面上にちょっとだけはみ出した高層ビルに上って釣りをする。四年ぶりくらいです、釣りをするのは。釣れました。さっきの猫です。全身の毛を逆立てて水滴を払って、ぐったりしています。猫よ、と、手の甲でそっと触れる、曖昧になりがちな輪郭に抗うように。
 
 ここまで全部、部屋の中の頭の中で起こったできごとです。部屋の外では何が起こっているのでしょうか。私が妙なことを考えている間に外では引き潮をも超える「引きすぎ潮」によって海が干からびたらしいです。林修がテレビで言っていました。林修の発言に基づくのもどうかと思うけど、これも生活に基づくための第一歩です。私も早く生活に基づきたい、友人の友人のブログみたいに。