深翠抄

~おこしやす~

16 万年筆とインク

 一点豪華主義なる言葉がある。
 この語は要するに全体として貧相であってもこだわりのある特定の部分にだけはお金を掛けるという態度・様式を指す。
 思えば私の生活は一点豪華主義かもしれない。「全体として貧相」と言う通り、例えば衣類は全て横浜駅南改札西口を出た先の南幸町(みなみさいわいちょう・"幸" と言いながらそこには倨傲と愛欲とに塗れた先の無い絶望しかない)の黒く汚れた帷子川に臨むホテル街のやけに暗くなっている路地裏で追い剥ぎをして入手したものである(そういえば先月観に行った式能の演目に「痩松」というのがあり、これがまさに山賊による追い剝ぎの話であったので私は我が身を顧みるような心持ちで見入ってしまった)し、食には関心を失って久しく、三食乾麺でも三食芋煮汁でも三食青白錠剤でも構わない。守銭奴としての自覚は生活の隅々にまで能く行き届き、動画を無料で視聴するため単身インターネットの海に飛び込み危ない違法サイトと危なくない違法サイトとを正確に嗅ぎ分け(嘘です。アマプラで観ています。最近は『遊星からの物体X』や『冷たい熱帯魚』などを観ました。楽しかったです)、漫画村だか漫画王国だか漫画遊星だかで漫画を読み漁り(これも嘘です。ブックオフでの立ち読みに徹しています)、高級煙草 TREASURER BLACK などに憧れながら闇市で買った激安のシケモク(歌舞伎町界隈で拾い集められた吸い殻から錬成)で辛うじてニコチンを摂取し(これも嘘。大抵 Peace のスーパーライトを吸っている)、赤羽駅東口前の喫煙場(広すぎてもはや喫煙所と呼べる空間ではない)ではヴィヴィアンの着火器の金属的な開閉音を響かせるお兄さんの隣で私はどこかで拾ってきたオイル切れかけの100円プラスチック着火器を使い、電車では隣席の御婦人が装幀麗しい新品美本を繰る一方で私は染みと紙魚とによって麒麟みたくマーブルになった饐えた古本を、繰るというより剥がすようにして読み、勿体ぶって2weekのコンタクトレンズを一か月間使い通しいつ及び来るかとも知れない健康被害に怯えながら日々を暮らしている。最後に自動販売機で飲み物を買ったのはいつであろうか、普段は水道水ばかりを飲み、(雨の日には天井から垂れてくる消毒的風味の無い水を飲み、)電気代節制のために普段から電灯を消しておくようにしているが北向きの部屋は日の盛りにもなお薄暗く牢獄を思わせる雰囲気、(任意の)お前の部屋にはアロマディフューザーなどとお洒落なものもあるのに私の部屋には……おや、私の部屋にもアロマディフューザーが! と思ったら火のちゃんと消されないままの煙草がぼんぼこ捨てられてアロマディフューザーみたくなっているだけの灰皿だった。
 貧相に輪を掛けたような生活の有様を書き連ねているうちに「本当は豪華な点などただの一点も無いのではなかろうか」と心配されてくるわけであるが、しかしまさに今ここでこの記事を書いている手元に瞠目(または刮目)し給え! それは見紛うこともなき高級万年筆 Souverän M805 Vibrant Blue ではないか!(ワープロではなく手とペンとで書いているという設定)

f:id:e-y-e:20210314162654j:plain

うさぎと Vibrant Blue 1

f:id:e-y-e:20210314162702j:plain

うさぎと Vibrant Blue 2

 Vibrant Blue は Pelikan の人気ブランド「スーベレーン」シリーズの限定モデルである。同シリーズの限定モデル Ocean Swirl が冷たく寂しい深海ならば、Vibrant Blue は爽やかに輝くアドリア海! 真っ赤な飛行艇の轟音が今にも聞こえてくるようである。
 私は Pelikan の万年筆が大好きで、天冠に刻まれたペリカンの親子を眺めたりニブに刻まれたペリカンの親子を眺めたり化粧箱に刻まれたペリカンの親子を眺めたりしている。M805 Vibrant Blue の他にも M600 Vibrant Orange や Classic M120 Iconic Blue などを愛用していて、特に後者は私の最も頻繁に使用する相棒のような存在である。ニブをくるくると回してその煌めきを見つめたりインク窓からインクを覗いて「入ってまつね……w」っつったりさりさりとした書き味を楽しんだりしている。万年筆はいい。万年筆は美しい。

 インクは SAILOR の青墨(せいぼく)一択である。色味は一般的な青系であるが、何と言っても赤光り(ピンクフラッシュ)のかっこよさが他の追随を許さない(否 Organic Studio の Nitrogen には許しちゃっているだろうが、簡単に手に入るインクの中ではトップだろう)。滲みにくい顔料系インクであるのも嬉しい。

f:id:e-y-e:20210314163124j:plain

青墨 通常は青い

f:id:e-y-e:20210314163224j:plain

青墨 光の当て方によって赤く光る

 蘇舜欽『夏意』は私のお気に入りの漢詩である。

 かつて使っていたペリカンのブルーブラックも発色は大変良かったのだが、これはいわゆる古典インク、つまりやや酸性の強い代物であり、ニブの腐食が心配だったので使用を止めた。尤も金ペン(ニブが金製)ならそうそう心配する必要もないのであろうが、長期的に考えれば古典インクを避けるに越したことはない。
 メンテナンスの話で言えば、先述の青墨は顔料インクであり滲みにくくさっぱりした線の引ける点は大いに嬉しいのであるが、染料インクに比べて万年筆内部でやや詰まりやすいという問題を抱えている。SAILOR は超微粒子顔料系インク(青墨も然り)の開発によってこの問題を剋服したとしているが、大事を取ってこまめなメンテナンスに徹するべきであろうと思う。

 顔料インクのもう一つの欠点として、技術的な問題上色彩展開が染料インクに比べるとやや貧弱である。SAILOR はまたたゆまぬ企業努力により顔料系インクである STORiA シリーズから赤とか黄とか緑とかのインクを発売している。私はこれのレッドを使っているが、やはり染料インクに比べるとやや暗いような印象がある。あと何となく粘度のやや高いような感じがある。

 PILOT の色彩雫(いろしずく)の中では紺碧などが爽やかな感じで好き。